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篠原ともえが清楚キャラにイメチェンした理由は!? [芸能]

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1990年代後半にハイテンションな「シノラー」として奇抜なファッションで一斉を風靡した篠原ともえも(35)。あのカラフルだった当時とは一転、清楚なイメージを醸し出す女優、声優、衣装デザイナーとして多彩な能力が注目されている。アメリカリアリティー番組『プロジェクト・ランウェイオールスター2』では、日本語の声優を演じるなど、広い活動を見せている。一時期お茶の間や舞台から姿が見れなくなった篠原だが、その間に再起をかけた足がかりをしっかりと作っていた。そして今回この様な華麗な成長を披露することができた。

当時の篠原を知っている人からすると、今の清楚キャラに違和感を感じるのはないだろうか。篠原も「清楚で静かな篠原では周囲から受け入れてもらえないのでは?」という不安があったようだ。しかしながら、「年齢を重ねていくうちに、変わっていく篠原を見て喜んでくれる人がいる事実が分かった。周囲に導かれるように多面性のある篠原を見せていきたい」と語っていた。

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周りの目など気にしない強い性格と、それを物語る独特なファッションで大人気だった1990年代後半。その奇抜なスタイルにより女性から多くの支持があり、シノラーという言葉がでてくるほどの人気っぷりだった。だがしかし、レギュラー番組だった『LOVE LOVE 愛してる』の放送打ち切りとともに、お茶の間で目にかかる機会は徐々に減っていった。

「以前はバラエティー番組ばかりに出演していましたが、本職はシンガーなのでさらに技術を向上しなくてはと考え、舞台のお仕事で歌唱力をトレーニングした。自ら企画したイベントでコスチュームをデザインしたり。テレビの前の皆さんは私が仕事を休止していたと思われていたかもしれませんが、私としては自分の変化を楽しいと思えるチャレンジの時期だったんです」。自分の活動範囲を大きくするための大事な時期だったと篠原は言う。

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子供の頃から歌って踊れるデザイナーになりたかった篠原なだけに、専門学校でデザインもしっかりと学んだ。その時を振り返ると「デザインの勉強だけではなく、自分の美的センスを磨くために、美術館を回ったり、舞台を観にいったりもしていました。また語学留学もしました。着実にスキルを向上するためにその準備をしていたんです」とポジティブに動いていたようだ。

そして2013年、その積み重ねが大きな結果を生み出した。篠原は、松任谷由美のコンサート衣装のデザインに抜擢されたのだ。「もしあの充電期間がなければ、知識や感性を十分に得ることができずに、わからないことだらけでこんな話さえもらえなかったはず」と、長い時間を費やして成長した自分自信を実感していた篠原であった。

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